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警察にも捜査の過程で、あの男はとんでもない講師だったと伝えているにもかかわらず、違った形で情報が流されている、と訴えてきたのだ。
しかし、メディアの側からすれば、事件発生当時は「マスコミ取材お断り」といっておきながら、3ヶ月も経ってから、遺族が不満をぶちまけてきても、取り上げようがない。
結局、大半の一般紙は地方版の扱い、わずかに週刊誌が1誌取り上げた程度だったのだ。
つまりは、マスコミの側にもニュースの新鮮度がいる。
取材拒否の後、3ヶ月も経って言われても、ということになりかねない。
いくら現場の記者がデスクから「取材に行ってこい」と言われたとしても、いい取材、いい記事になるわけなどないのである。
被害者とメディアが信頼関係を結び、正しい報道を展開するには、ある時期に、警察を介さずきちんと接触する場がなくてはならないのである。
同様に、広島市安芸区の小学生殺害事件、栃木県今市市(現・日光市)害事件でも取材規制のペーパーが出された。
いずれも、家族がすぐさま機転を利かして取材拒否の意向を出せるとは思えない。
明らかに警察の指導が入りこんでいるとしか考えられないのだ。
果たして、そうした警察の介入で、被害者が本当に報われたのだろうか。
被害者の悲しみ、怒り、憤り、そうしたものを誰も共有しない。
そんな社会になってしまうと思うのだ。
メディアの取材力ここではっきりとした私見を述べる。
私は、この実名・匿名報道に関して、実は勝手にやればいい、と思っている。
別に居直ったわけでも、開き直ったわけでもない。
要は、警察の発表はあてにしないで、メディアが自らの力で取材すればいいのである。
例えば、私の部下の事件記者に一報が入って5分経っても被害者の名前すら割って来られないなら、即刻クビだ。
普段から警察を回っているにもかかわらず、被害者の名前一つも割れない記者だったら、私は要らないのだ。
各社を見回してもそうだろう。
少なくとも、警視庁や大阪府警を担当している記者は、その能力がなければ務まらない。
割った上で、紙面ではどう対応するのかなど、的確な判断ができる者が生き残れる世界だ。
では、本当に警察が実名を伏せれば匿名報道が続くのか。
犯罪被害者が世話になるのは、何も司法機関だけではない。
例えば、死亡届も埋葬許可も行政だ。
市町村などの地方自治体を取材すれば、死亡者はすぐわかる。
さらに、家族が亡くなって、葬式を行わない家はないだろうし、葬儀社に頼まないところもあまりない。
基本的に匿名の被害者の身元を割ろうとすれば簡単なのだ。
つまり、警察主導による匿名報道という流れができても、それは形ばかりということである。
ならば、むしろ、普段通りに警察が発表し、メディアは警察と話し合う。
それからメディアが犯罪被害者と話し合うという、従来のやり方が一番いいのではないか。
現場はそうやって今までやってきたのである。
こうやって書き連ねてくると、警察に情報をまるごと預けて、しかも情報のコントロールまでさせてしまうことがいかに危険かおわかりいただけたと思う。
首輪をつけられるマスコミその一方で、メディアをすべて信頼してしまうことにいまだに危険性を感じている被害者の方々がいることも否定できない事実である。
しかし、警察、メディア、被害者の三者が、同じベクトルを持っているとしたら、それはともに事件の早期解決、事実の解明を願っているということだ。
目的は共通しているのだ。
私は、現場でひたすら汗を流し、被害者の無残な姿に涙し、犯人を憎み、昼夜を問わず捜査に没頭している刑事を何人も見てきた。
現場では、警察官もメディアも同じ思いを抱いているということも、忘れてはならない。
だからこそ、もっと現場の声を大切にして、互いの立場を尊重し合い、時として厳しいこぜり合いをしながら、ともに犯罪被害者の方たちと真撃に向かい合っていかなければいけない。
そう強く感じているのである。
メディア包囲網では、犯罪被害者等基本計画を軸に、実名・匿名報道を中心としたメディアのあり方、状況を示してきた。
しかし、ここに取り上げただけではない。
国という途方もない権力は、メディアに対する締めつけ、規制を隙あらば行おうと画策しているのである。
例えば、でも取り上げた個人情報保護法には、「個人情報の保護に関する法律(基本法制)」で、報道機関は民の「個人情報取扱事業者の義務等」からは除外されている。
つまり、罰則規定はないのである。
しかし、個人情報を守ろうという理念を守れ、という「枠」からも除外されているわけではない。
言い換えれば、報道機関といえども、「なぜお前が個人情報をとっているんだ」「どんな理由でやっているんだ」と、追及される恐れがある。
取材の障壁はすでに高くなっているのだ。
もっというと、そもそもそれが報道機関であるか、否かと判断するのは誰なのか、国家がいい報道、悪い報道と決めていいのか。
そのような手形を国家という権力に与えてしまいかねない危機感が漂っている。
また、共謀罪創設で揺れた第164回国会でも、憲法改正手続きを定めるための国民投票法案にも、当初はメディア規制が組み込まれていた。
「報道機関は、虚偽の事項を報道し、又は事実を歪曲して記載する等表現の自由を濫用して国民投票の公正を害することのないよう、自主的な取り組みに努めるものとする」という規定が盛り込まれていたのである。
「法律を歪曲して、法の濫用」をしでかす可首輪をつけられるマスコミとんでもない話だ。
それをいうなら、国が能性、危険性の方を聞いたい。
これに対し、当然のことながら、N新聞協会やN民開放送連盟から強い反発や懸念が相次ぎ、かろうじて、与党案からはメディア規制は削除された。
一方、民主党は法案の共同提出を拒否し、独自案(こちらもメディア規制はなし)で対決する姿勢を見せている。
それにしても、公権力は憲法改正に向けて何としてでもメディアを取り込もうと躍起になっている。
メディアに「首輪」をつけ、つなぎとめておきたいということである。
まさに、憲法改正前夜ともいえる今私たちは、より暗い社会の入り口に立っていると言えるのではないだろうか。
超監視社会の行きつく先、無菌社会。
実際に、今の日本で、データではなく、いわゆる体感治安でいえば、過去に比べてこの国の治安状況は悪くなっていると答えた人が刊%を超えている。
国民の治安、日常生活の安全に対する不安感は、かつてないほどになっている。
特に性犯罪や、防犯カメラの項でふれたように子どもを持つお母さんたちの安全に対する危慎は、相当なものになっているはずである。
だから、共謀罪をはじめ、様々な法律は、少しばかり人を縛りつける不自由さはあるが、犯罪に巻き込まれることを考えたら、あってもいいじゃないか、という考えも当然、生まれてくるだろう。
これは、共謀罪が国会で継続審議になる前に、「Sプロジェクト」の取材でインタビューに応じてくれた衆議院法務委員会の筆頭理事、N議員もしきりに言っていたことである。
「犯罪は起きてしまってからでは遅いんですよ。
そのときには被害者が出てしまっている。
そうではなくて、そんな悲劇が起きる前に、なんとか事前に止められないか、それがこの法律の一番、重要な点なんです。
国民の皆さんにもぜひ、それはわかっていただきたい」なるほど、被害者が出て、一課に暮れる前に、犯罪を押さえ込む。
そのことに反対する人はいるまい。
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